Mayerlingの余韻

昨夜の「うたかたの恋」、何度も頭の中で反芻してしまう、、。こんだけ余韻を引きづる作品ってほんとにすごいって思う。素晴らしいっていうよりスゴイ。写真は昨年ウィーンに行った時に足を延ばしたマイヤーリンクです。事件の起きた狩猟館は今はなく、修道院が建ってます。
終始一貫して人間の負の感情にスポットを当て続け、暴力、薬物、殺人、不倫、ついにはピストルで心中。舞踏会のシーンとか、バレエらしい華やかさも演出されてるけど、そこに流れる空気はやはり重く影が色濃く落ちている。舞台上に唯一明るさを感じた存在はマリー・ヴェッツェラなんだけど、これがまた子供のころから何やら邪悪な光を放っているのでした。
いわゆるいい人キャラの人が全然いないくらいみんな腹に一物かかえ、分かち合えない心の闇を持て余しているのです。人間にはもっと多面性があると思うのですが、ここでは敢えてそのようにキャラクター付けされている気がしました。おそらくは、この作品で繰り広げられる世界はルドルフの心の中の世界なのだと思います。人格的に問題があったであろう彼は周囲の人のことをある一面でしか判断できず、勝手な解釈をしてしまうために余計に孤独を深めるのです。
ルドルフは死に取り憑かれていた男でした。ハプスブルク家の皇太子として生まれ厳しい教育を強いられ、変化する時代の波に溺れ、自由を許されず人生に絶望していく、という単純な物語というものではなくて、ルドルフの持って生まれた心性が根底にあって、その他の理由は複合的に積み重なって、より彼の死への親和性が高まって行ったのだと思います。沈みゆく落日のような帝国の王子の話となると、どこかおとぎ話のようでもあります。でもこれは、世界中のどこでも今も起きている事件と隣り合わせの出来事だと思いました。極端にいえば、死の本能に支配された人間の物語だということです。人間の攻撃性や自己破壊本能を正面から目線を反らす事なく、執拗なほどに表現していった作品だと思いました。だからこの作品はすごみがあるのです。マクミラン、すごい。
マリー・ヴェッツェラは、ルドルフのこの死の本能を体現する存在でした。彼が妄想した死のイメージを見事にくっきりと形にしたのです。マリーが現れなければ、ルドルフは死ななかったのでしょうか。、、それは違うと思います。自死をいう形ではなくともたとえ生物学的に命を落とさなくても、そう長く歴史に登場する存在ではなかったと思います。
つらつらと考えてしまってどうもまとまりません。正味2時間ちょっとの作品を観たことが、考えるきっかけを作ってくれるのがバレエ観賞の醍醐味です。