兵士の物語

アダム・クーパーの来日久しぶりです〜。公式サイトはこちら
予習が足りなかった私が悪いんだけど、これはダンス作品というより演劇作品ですねー。出演者がみんなダンサーだから、ダンス中心でセリフはそうないと思い込んでました(^^;。演劇を見慣れていないということもあると思いますが、セリフのあるもの(今回は字幕を読む作業も加わる)はダンスを観る時と違う脳を使うようで、少々混乱するのでした。
美術も素敵だし、小っちゃいオケピがあるのもしゃれてるし、指揮者まで作品の一部になって登場するあたり、何が始まるの〜?とワクワクされる演出は効果大。出演者みんな個性的で演技も上手いし(特にマシュー・ハート!)、演技と途切れることのないダンスもさすがだと思いました。
でもでもですね。正直、退屈しちゃいました。セリフに頼らざるを得ない演出なので、場面転換もありませんし、観客は演者の演技からその背景を想像し心の目で見る必要が出てきます。そこのところの説得力が充分でない印象があって、兵士の行動や心象がどうも薄っぺらい。悪魔に心を渡してしまう前と後がずっと同じなのがどうもしっくりこなくて。アダムは健康的な個性の持ち主なので、人間の根底にある愚かさとかを表現するにはどうもイイヒトすぎちゃう感じ。だからこそ真実味があるのかもしれないけど、何か物足りなかったんです。あぁ、AMPの白鳥の湖に勝るアダムの当たり役ってないのかしら?
いろいろぐちゃぐちゃ書いてますが、もしかしたら、単に私はもっとダンスが観た〜いっってだけかも。私の脳が喜びを感じるのは、音楽と人間の身体が創り出すムーヴメントの一体感、身体の創り出すフォルムから感じられる何かなのかもしれません。
日常の生活で、何か情報を得るのも伝えるのも言葉を介して行っているし、自分一人で物事を考えている時も言葉を使って考えています。こうしてブログを書くのも言葉を扱う作業です。私は言葉を介さない作業ってとても少ないのです。たまにすごく頭が疲れてる時って何かいつもと違うことをしたくなって、普段見ないお笑い番組なんか見て笑いたいとか思うのですが、全然笑えないし面白くないのです。落語ですら言葉を聞かなきゃという努力が必要なものは集中力が続かないことも多いのです。夫が誘ってくれてたまに落語も聞きに行きますが、言葉を聞いているはずがいつのまにか映像としてその場面を受け止めていることがあります。これは心地よい体験です。そんな場を作れる噺家さんは本当に素晴らしいと思います。同じ言葉でも、意味を解釈する作業じゃなくて感じる作業になると私の脳が喜ぶようです。