オネーギン、雑感2

エルヴェのオネーギンの感想を書きたいのに何か書けなくて、記憶が薄れていくのが悲しいので、まとめようと思わないで感じたことだけ書こうかなと。
エルヴェが登場した時からもう私は冷静に舞台全体と観ることはできなくって、彼の一挙手一投足を追う状態に。とにかく美しいオネーギンでした。シュツットガルト版ではオネーギンの衣装が最初から最後まで特に変わらない感じだったけど、1幕では皮のような素材感のある衣装で衿にグリーンのトリミングがありました。でも3幕ではベルベットのような素材感のものになって衿はサテン地のような光沢がありました。シュツットガルトのプログラムを良く見ると3幕の衣装は袖口のデザインが違いますからおそらく1幕と3幕は別のものなんでしょうけど、パリ・オペの方が素材感が違うので違いが判りやすいのかも。
話がそれました。えー、エルヴェ@オネーギンは以前も書きましたが、ニヒリズムの塊といった風情はなく、その美しさや物腰から周りの雰囲気とは一線を画した存在感でした。鏡を見ているタチアナの背後から鏡を覗くシーンも彼にしてみれば特別のことではないのでしょうが、あの美しいお顔が急に表れたら何やら夢の中で天使がはたまた悪魔に出会ったかのように感じるでしょう。タチアナは思いっきり動揺しますが、オネーギンは儀礼的というか身に付いた作法から自然に周囲と挨拶を交わし、タチアナとお散歩に出かけたという感じ。1幕の見せ場であるパ・ド・ドゥは、オネーギンとタチアナの心の状態を良く表しています。タチアナは出会ったばかりの初恋の相手を全身が目となって見つめ、また心臓となって感情の高ぶりと揺れる心を表現します。イザベルはお堅い田舎娘の風情はありませんでしたが、この辺りの恋心の表現は素晴らしかった。きゅんっとなりました。一方オネーギンは、タチアナなど眼中にはありません。”ふさぎの虫”にとりつかれている男は虚無的に宙を見つめます。でも、ですね、エルヴェのオネーギンは虚無的というより夢想的、厭世観というより悲哀感といった憂いをまとっていました。目の前にあるものは空っぽの現実、全てに退屈してしまった男ではなかったです。心を満たし沸き立たせるものを欲している姿でした。タチアナの読んでいる本を手に取って一瞬見せた表情、これは冷笑と言ってよいと思いました。片眉をちょっとあげてフッって感じ。ルグリは他のシーンは表情というより身体全体で踊りを通してオネーギン像を作り上げていましたが、このシーンは別でわりとあからさまに嘲った顔をしました。ニコラは、くっ、こんなの読んでんの?笑っちゃうよってな感じ。三人三様で面白い。エルヴェは一見ソフトなオネーギンだったんですけど、この表情ばかりは冷たく美しく、彼のオネーギン像を表しているように感じました。
タチアナの夢のシーンは、前にも書きましたが、ロマンティク全開。夢のシーンなので当然なのですが、現実感のないイメージだけの陶酔感で生身の男性としての存在感はあまりありません。鏡から登場する時はちょっとミステリアスなんですけどねー、瞬く間にロマンティックなイメージになっちゃって。どうなんでしょ、エロスと誘惑的雰囲気ももちろんあるのですが、少女の夢ですからオブラートに包むとこんな感じなんですかね?薔薇の精と同じですね。このシーンってシュツットガルトの来日公演でバランキエヴィッチが踊る時にも感じたんだけど、本来のオネーギンという人物像からはかけ離れすぎていて、さっきまでシニカルだった人がこう変身されるとちょっと面食らうっていうか、照れ臭いような気分になるのでした。オネーギンがまた鏡の中に消えていくところはルグリが一番気合が入ってました。エルヴェとニコラは腕を交互に回しながらすっと後退して暗闇に消えていくって感じだったけど、ルグリは横を向いてポーズをキメてました。あの部分は音楽もちょっと派手になるからルグリのはあまりに音楽に合っていてさらにテレを感じてしまった。
タチアナにとってもこのシーンはとても大事。最初、ベッドで物思いにふけっているのだけど、イザベルは少女の恋を若々しく軽い焦燥感を持って表現していたと思います。オレリーはしっとりと、でも熱く。オスタは・・。また悪口みたいになるのでいやですが、ベッドの天蓋の柱に何故かしがみついていたのです。初恋のやるせない落ち着かない気持ちの表現だとしても私的には???でした。手紙を書くシーンも、確かに原作に「肩肘をついて」という表現はありますが、実際、どうでしょう。私が見たものはイザベルやオレリーは「頬杖をついて」という表現の方がしっくりするものだったのですが、オスタはまさしく「肩肘をついて」でした。日本語のこの微妙なニュアンスが大切だと思うのですが。
続き2幕はまた後日。