新国立「椿姫」

本日、観て参りました〜。新国立劇場開場10周年記念フェスティバル公演として牧阿佐美氏による演出・振付の作品っていうことで、正直、期待はしないけど観に行きました。新国立劇場バレエ団の何たるかを知るには必要な鑑賞だと思ったからなのです。美術も音楽も全くまっさらなところから創るわけですからね、牧氏の芸術監督としての力量が試される公演なわけですよ。
ダンサーの方々はみなさん頑張ってらしたと思います。ザハロワはとにかく美しいし、不幸なキャラもお似合いだと思います。これにはかなさが加われば言うこと無しですが。アルマンのマトヴィエンコは私的には引いてしまった。おぼこいキャラはまあ良いとして立ち居振る舞いがコテコテクラシックの王子サマなのはいかがなものか。メイクも髪形もなんかイマイチ。前額部が後退気味なんでおどろいちゃった。本日伯爵役のテューズリーの方が良かったかもな〜。
美術は印象派やエコール・ド・パリの雰囲気で音楽はベルリオーズですから19世紀から20世紀初めのフランス文化を意識していることが感じられました。椿姫という作品は正確には19世紀中ごろですから、印象派前ですけど。
バレエで「椿姫」というとノイマイヤーの作品を思い出してしまうので、当然ながら物語バレエとして心理描写に重きをおいた作品を期待してしまいます。残念ながら牧氏の作品は物語バレエとは言いがたいものでした。演出も中途半端。一幕はまあ良いとして、二幕が???でした。マルグリットとアルマンが別れた後の舞踏会の場面なんですけど、チャルダッシュ、タランテラ、アラブなどのディヴェルティスマンが入るのっていったいどういうことでしょうか?物語の流れをぶち壊しです。オランピアは出てこないし、別れた後、一夜を共にするという大事な場面(ノイマイヤー作品でいう黒衣のパ・ド・ドゥ)はありませんし、アルマンの嫉妬と自暴自棄な嫌がらせに傷ついて死期を早めていくマルグリットの姿は十分に描かれていません。おまけにラストでアルマンとアルマン父はマルグリットに許しを請い、アルマンとの愛を確かめあった中でマルグリットは死んでいくのです。納得できない〜っ。”原作の設定を忠実に残した”って書いてありましたが? このあたりが私的には原作を読んでいて一番ぐっと来るところなのになー。マルグリットの最後にアルマンは間に合わないから切なさが増すのに。だからこそ、アルマンは死後のマルグリットにも病的な程の執着を見せるんだと思うのです。お墓まで暴くのですから。
マルグリットとアルマンの出会い、愛の成就、別れ、再会と復讐、マルグリットの死とアルマンへの許しといった一連の流れはあるのですが、これが単なる筋書き程度の描写で、物語の深みを表現するに至ってはいませんでした。ディヴェルティスマンの登場にもわかるように眠りや白鳥といった従来のクラシックバレエのスタイルから離れることができない演出なのです。こんなんで良いのかしら?お金はすんごくかかっていると思うのに〜。
ベルリオーズの音楽は、先月サシャ・ヴァルツの「ロミ&ジュリ」で聞き覚えのある曲がちらほら。一幕でアルマンの愛を受け入れることを決心するシーンでは、ロミオのソロの部分が、二幕の舞踏会のシーンはキュピレット家での舞踏会の音楽が、ラストの瀕死のマルグリットとアルマンの再会のシーンでは、ロミオがジュリエットの眠る墓地へたどり着いた時の音楽(編曲してあったと思う)が使われていました。全体として十分に音楽を吟味しているとは言いがたい印象が残りました。
あんまり辛口ばかり書くのは主義じゃないけど、書かずにはいられない。何より悲しいのは観るべき公演が少なく感じられてしまうことなのです。新国立も年々つまらなくなっている気がします。ゲストも同じ顔ぶれで、作品も同じようなものばかり。昨シーズン、美術、衣装を新しくして牧氏が改定振付をした白鳥だって何も目新しいものがなかったし。新国立には新しい風が必要なのではないかしら?