マーフィー版白鳥

オーストラリアバレエの来日公演初日に行って来ました。とーっても良かったです!本日のキャストはこちら
ダイアナ妃のエピソードをモチーフにしたという作品で、俗っぽかったらやだなー、と思ってたんですが、あのトレーンを長く引いたドレスで踊るシーンの写真は、斬新でおしゃれな雰囲気だったので期待していました。ダイアナ妃のことを意識すると確かに面白い見方ができるシーンもありますが、また別な物語として完成されていました。美術も大変洗練されていて美しかったです。
音楽の使い方も新鮮。3幕のチャルダッシュや黒鳥のパ・ド・ドゥの音楽は1幕で使われ、振付も全く別のものでした。そもそも1幕が結婚式なんだもん。そのパーティでオデットは王子とロットバルト男爵夫人の関係を知ってプッツンしちゃうという設定です。ここでオデットがジゼルみたいに狂乱の場を演じるのです。面白い演出〜。
2幕は狂ったオデットが入れられたサナトリウムのシーン。王子が面会に来るけど男爵夫人との密会も見ちゃって(妄想かもしれないけど)、より深く傷ついて自分の幻想の世界に安らぎを求めるのです。それが、凍った湖にいる白鳥たちの踊り。蒼白な冷たい、でも美しく清らかな白鳥たちは、傷つけられたオデットの心そのもの。
3幕は、男爵夫人の舞踏会の場面。全体にダークな色調で、女性たちのドレスもみんな黒。そんな中に招かれざる客としてオデットが白いドレスを着て登場するのです。それも黒鳥の登場の時の音楽にのって。新鮮〜。清らかな魅力でジークフリードを虜にしちゃうから男爵夫人は必死にその支配を行使しようとし、欲望をあらわにするのです。その時の音楽がロシア(ルースカヤ)。これが1番の見せ場になったかも。ルシンダ・ダンのダンサーとしての力量が伝わりました。昨年のバレエ・フェスではこの魅力はわからなかったわ。で、オデットを再度サナトリウムに送り込もうとするんだけど、オデットは逃亡してしまって、王子も男爵夫人の制止を振り払ってオデットを追うのでした。
4幕は、湖畔のシーン。王子はウエディングドレスを身にまとっているオデットを見つけて愛を確かめあうの。でもオデットは王子の手を離してしまうのです。白いドレスを脱いで黒いドレスになって、黒鳥たちの群れの中に入っていくの。そして王子に別れを告げ、湖に身を投げるというか、黒い大きな穴に吸い込まれるように消えて行くのでした。黒と白が象徴的に使われていて、純粋で清らかであること(白い世界の象徴)に安らぎを求めていたオデットがその白い世界のみでは生きていけないことを知り、生きていくこと自体に絶望したという意味があるのかなと思いました。
黒=悪ではなく、心の底に渦巻く人間の欲や嫉妬、ねたみなど感情の象徴かな? 確かに人間の感情としては裏の感情だけど、そんな感情とも向き合ってコントロールしていくことが生きていく上では必要で、オデットはそれができない人だったということ。だから傷つき、狂い、生きていくこと自体に苦しむ・・、ダイアナ妃もそういう人だったのかも。他にもこういう人っていますよね。透明感のある不思議な魅力を持っていて、傷つきやすい人たち。何となくそんな人たちのことを思ってちょっと胸がきゅんとしてしまいました。
エンタテイメントとして楽しめる作品でしたが、最後にちょっと辛口に。バレエとして見るとちょっと違和感を感じる向きもあり。リフトを多用しアクロバティックではあるけれど動きやポーズの美しさに欠ける。ポワントワークを美しく魅せる振付は殆どない・・など。マシュー・ボーンに似てるかな?特に男性ダンサーの腕の動きとか。群舞の振付は平凡で社交ダンスのワルツみたいだったりするのでもっと踊ってよーと思ってしまう。ですから、バレエ作品を観るというよりダンスドラマを観るつもりで行った方がバレエ好き、特にクラシックが好きな方には違和感がないでしょう。グレアム・マーフィーの他の作品を見た事がないので簡単には言えませんが、ダンスそのものの振付というより、作品の構成力に長けてるのかな?英国伝統の感情の表現、ドラマ性、キャラクターを生かした作品作りに成功しているのだと思います。
眠りではプティパの振付ベースにスタントン・ウェルチが手を加えたというもの。従来の古典に添った作品を見ることでこのバレエ団の真の実力と魅力を探ることができると思います。