Rhapsody in Blue

本日、オーチャードホールにてマチネ観てきました。とっても楽しかったです。けっこうワクワクした気分で観てしまった。服部さんがこれからどんなことをしていきたいのか興味があったので見に行くことにしたのですが、今回の公演がその答なのでしょうか?きっとまだまだ未知数の部分が大きいと思いましたが、彼の才能は確かかなぁと感じました。先日、NHKトップランナーにも出演されて自分のしたいことのためにより自由な選択のできる場所としてカナダ・アルバータバレエに移籍したと言っていました。あまり服部さんのこともカナダのバレエ事情のことも詳しく知らないのですが、アルバータバレエってそういう所なのでしょうか?ミュージカルがやりたいみたいなこともおっしゃってましたねー。
今日の公演はまず、ドビュッシーの「月の光」から。続いてメンデルスゾーンの「イタリア」。振付はとても音楽的で、クラシックのダンサー、コンテのダンサーそれぞれの個性に合わせた踊りになっていて随所に見せ場もちりばめられあきさせない構成になっていました。一幕最後はバーバーの「アダージョ」。これはちょっと退屈したかな?夕べ良く寝てなくて疲れてたせいもあるけど。二幕はシェーンベルグの「浄夜」とガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。「浄夜」は導入部分はダンスがないこともありやはり多少眠気との戦いが必要になりました。プログラムのタイトルにもなっている「ラプソディ・イン・ブルー」にはすぐ目が醒めました!やはり音楽は重要ですね。聞き覚えのあるメロディーが始まるだけで脳が刺激される〜。エピローグは「月の光」のサビをもう一度踊って幕となりました。作品一つ一つの感想は避けますが、作品の完成度としては「ラプソディ・イン・ブルー」、「月の光」、「イタリア」の順で良かったと思います。
全体として感じたことをいくつか。踊れるダンサーは身体が違うということ。立っているだけで能力がある程度わかってしまう。小林十市さんがご自身のブログで書かれていたと思いましたが、隙のない身体を持っている人は踊れるのです。逆にいえば、踊るために鍛練すると隙のない身体になるのかもしれませんが、いくら鍛練してもそういう身体にならない場合もあるでしょう。
コンテのダンサーとクラシックのダンサーの違いというのも実感。クラシック中心のダンサーはどうしても背中、腰、肩、膝、つま先などきれいな型があるのでそれをくずせないとコンテ作品を踊れているようで踊れていない。独特の間というか体重の移動のタイミング、動と静の妙、脱力と緊張、重心の移動による身体の動きの大きさの変化などのニュアンスを出すのにもおそらく単にセンスだけでない技術がいるんですねー。当たり前のことなんでしょうけど改めて感じました。一方、コンテのダンサーは軸が決まってない感じがあって技に迫力はあっても精度が低い。集団で踊ると統一感がない。したがってスゴイかもしれないけどきれいではない。
そんな中で服部さんとラスタはやはり別格。服部さんはダンサーとしては唯一無二の存在の個性があるとは言えないですが、振付のセンスと演出力などはかなり優れているのではないでしょうか?少なくとも日本人としては私的には振付家と言える貴重な一人だと思いました。ラスタは踊り出した時にやはりこの人はバレエダンサーなんだなーと思いました。これは消して悪い意味じゃなくそう思いました。それはやはり技術がしっかりしているということを意味しているので。でもそれは彼の個性の中の一部分でしかなくて、服部さんの作品を踊る彼はもはやラスタが踊る服部作品を魅せているのです。これは強烈な個性で他の誰もマネできないもの。なのに、彼はどこまで本気で踊っているのかよくわからない感じもあるのです。やはりラスタ・トーマスはタダモノではないかも。クラシック作品を踊るラスタを観たくなりました。Kのドン・キ、どうしよう?その日、すでにオーストラリア・バレエの予定が入っちゃってるのよねー。