オーストラリア・バレエ「白鳥の湖」

今日は最終日ですね。私は一昨日観てきました。キャストはこちら
3年前の来日公演でこの作品を観てこのバレエ団の素晴らしさを知りました。その時の感想は、こちら
感想そのものは3年前とそう変わらないのですが、前回は男爵夫人のルシンダ・ダンにかなり魅了された私でしたが、今回はオデット役のマドレーヌ・イーストーがとても良くて前回以上にオデットの心象について考えてしまいました。前回のオデットはカースティ・マーティンだったらしい。記憶が曖昧だけど彼女のオデットは内向的で硬い蕾のようでした。最初から人を信じる事に臆病でいるような。その分は感情の爆発は激しかった。イーストーはもっと無防備な印象で、一途さと幼さから破滅し、でも王子を愛する姿には母性も感じさせるのです。より人間的なオデットで余計に哀れでした。ルシンダの男爵夫人の野心と虚栄の間に見せる王子への愛は、まさにこれが現実なのかもしれません。他の方の踊る男爵夫人はいかなるものか、ルシンダの男爵夫人ですり込まれてしまっていて想像できませんが、DVDはダニエル・ロウが演じているようです。またまたポチっとしてしまいそうです。

前回の感想に、ダンスを観る喜びが足りない、みたいな事を書いていましたが、今回はあまりそういう事は感じませんでした。もう一度この作品を観ていたせいもあるかもしれないし、とにかく、この作品をもう一度観られる喜びの方が大きかった。
感想として付け加えたいのは、オデットの自死から連想した事です。オデットが自分自身の黒い感情を受け入れられず、自制することもできず、その黒い感情の渦に呑み込まれるように自ら命を断ったという解釈は変わらないのですが、オデットが自分に持っていたイメージ=ひたすら白い純粋で無垢な存在について。生身の人間であれば、ただ真白でいられるわけはないのですから、真白でいたかったオデットは生きて行けなかったのは仕方ないとしても(自ら死を選んだのですから)、オデット亡き後、他に誰も愛する事なくオデットを悼んで余生を送ったジークフリート王子のなんと哀れなこと。
ただ真白な存在などこの世にはいないのですから、それに心を奪われてしまったのなら、この世のものではないものを愛したということになります。
牡丹灯籠みたいな話にも思えるし、純愛という名の下に誰かを生涯束縛する事の寓話のようにも思えるのです。
マーフィー版白鳥の湖、恐ろしい作品です。